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朝日新聞の記事に思うこと

審判も試合を作る仲間

 3月4日、朝日新聞の「サッカーは笛で始まる」(日本サッカー協会審判委員長)というコラムで、ゼロックススーパーカップのレフェリングについて、「判定良し、対応にまずさ」という題名で、かなり突っ込んだ内容の記事が掲載されました。私の記憶する限りでは、公の場で、責任のある立場にいる人が、審判に対して具体的に苦言を呈したのは初めてのことのように思います。

 コラムによると、GKの飛び出しが見過ごされすぎているとFIFAが懸念を示しており、日本サッカー協会もやり直しを命ずるように指導しているそうで、再三のPKやり直しについては問題がないとしている一方で、判定に対する異議、審判への侮蔑で警告や退場が出たことに対し、「許されない行為である」としながらも、「選手がそんなことをしないで済むように導くのがプロの審判の技術。毅然な態度を持ち続けることや適切な選手とのコミュニケーションが足りなかった」としています。

 私も常々感じているのは、このコラムにある通り、問題があるとされる試合では審判が選手と適正なコミュニケーションを取ろうとしているようには見えないということです。まるで権力者であるかのような立ち居振る舞いや、選手からの申し出に対し、聞こえないふり、見えなかったふりをするかのような態度は「毅然とした態度」とは異なるものであり、互いの関係を正常化するものではありません。

 試合が円滑に進むように、選手とコミュニケーションをとりながら、プレーする側も、観る側もストレスなく試合を進めるのが審判の役割。もちろん、ルールに反することにファールの判定を下すことや、健全な進行を妨げる選手を戒めることは当然ですが、それはあくまで手段であって目的ではありません。そのことは審判をされている方は重々承知されていると思いますが、周りから見る限り、問題があると感じる試合では、ファールを取り締まることが目的のように見えるところに問題があるのだと思います。

 審判だけに非があるとは思いません。ピッチの上で信じられない言葉を発する選手がいるということも聞いています。勝つために手段を選ばない態度は健全な進行とは言い難いものがあります。もちろん、そういう場合は厳しく接するべきですが、そうしたことも含めて、もっと互いにコミュニケーションを取る必要を感じています。審判問題をご法度にするのではなく、必要以上に批判するのでもなく、お互いの共通課題として捉えることで適正なコミュニケーションが取れるのではないかと思っています。そういう意味では、朝日新聞に掲載されたコラムは、審判問題の解決に向かう大きな一歩だったように思います。

※本文と写真に関係はありません。

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