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全日本女子サッカー選手権2回戦



 忙しさを言い訳にしているうちに、気がつけば、もう2週間以上もブログを更新しないままでした(汗)。遅ればせながら、この間のことを振り返ってみようと思います。

 まずは13日に行われた全日本女子サッカー選手権2回戦。レベルファイブスタジアムでは、福岡J・アンクラスが福井工業大学附属福井高校の挑戦を受けました。福井高校は、常盤木学園、神村学園の2強がリードする高校女子サッカー界にあって2番手グループに属するチーム。近年、着実に力をつけており、トップグループに追いつく勢いのあるチームで、アンクラスにとっては決して簡単な相手ではないと思っていました。

 案の定、局地戦に持ち込んで勝負しようとする福井高校のペースにまんまとはまったアンクラスは、バタバタと慌ただしい展開で自分たちの優位性を発揮できず。前半は、先制点を奪われてもおかしくないシーンを作られてしまいました。最終的には1-0で勝利したものの、河島美絵監督はお冠り気味。相手をいなしてサイドアタックを仕掛ければ問題はなかったのですが、ムキになって中へ、中へと仕掛けたことが苦戦の原因でした。

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 それでも、私にとっては、彼女たちが逞しくなったという印象の方が強い試合でした。ピンチの場面では体を張って防ぎ、ハーフタイムを挟んで戦い方を変えて流れを引き戻した姿は、連係ミスであっさりと失点し、あるいは、悪い流れのままにズルズルと敗れていた昨年とは全く違う姿。内容は悪くても結果として勝利を得られたのは、厳しいリーグ戦を勝ちぬいたことで、そのレベルがひと回り大きくなったからにほかなりません。

 だからと言って、Div.1でも通用するのかと言えば、それはまた別の次元の話。監督からの指示を待つのではなく、自分たちで試合の流れを感じ、思うようにならない原因を見極め、そして、流れを引き戻す力を身につけなければなりません。そういう意味では、アンクラスは、まだまだ発展途上のチーム。変化を実感しながら、変化したからこそ見えてくる課題にチャレンジすることを繰り返していかなければなりません。それが、Div.1に定着する道だと思います。

 さて、アンクラスに先だって行われた神村学園とJFAアカデミー福島の対戦も非常に興味深いものでした。神村学園は高校女子サッカー界を代表するチーム。そしてJFAアカデミー福島は、日本サッカー協会が6年間かけて英才教育を施すことを目的として作られたチーム。それは、かつての高校チーム対クラブチームの図式にも似た戦いでした。結果は5-1でアカデミーが勝利しましたが、その差はスコア程のものではなかったように思います。違ったルート、違った方法で強化するチーム同士が切磋琢磨することで、女子サッカー界にも新しい風が吹くのではないかと期待しています。

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全日本女子サッカー選手権のレポートは 2002world.com に掲載中です。
全日本女子サッカー選手権特集ページ

トレーニング最終日



 昨日は、福岡の2009年のトレーニング最終日。この日のトレーニングをもって、選手たちは今シーズンの全スケジュールを終了しました。雁の巣球技場には宮原裕司、黒部光昭と、既に帰国したウェリントン、アレックス、そして手術を行った鈴木惇の5人を除いたメンバーが集合し、ウォーミングアップ、軽いボールタッチを行った後、最後はフットバレーでメニューを終了。トレーニング後に30分ほどのミーティングを行って、現チームが解散しました。

 チームを離れる選手が多いこともあって、平日ながら雁の巣球技場には多くのサポーターが集まり、選手がクラブハウスから引き上げてくると、思い思いに、今シーズンのねぎらいの言葉や、来シーズンに向けての励ましの声をかけていました。毎年、複雑な思いでいっぱいになる最終日ですが、チームを去ることが決まっている選手たちも、最後まで明るい笑顔でファン・サポーターと交流していたのが、せめてもの救いでした。来シーズンも、必ずどこかのスタジアムで会えることを願っています。

 チームとしての公式スケジュールは、この日で終わりましたが、シーズンオフと言ってもサッカーの選手に長い休みはありません。新シーズンの練習が始まるのは約1か月後の1月中旬。その時点では体を動かせる状態にしておかなければならず、それぞれの体調に合わせて引き続きトレーニングを積まなければなりません。実質的に休めるのは、年末年始を挟んだ1週間程度。休みだからと言って手を抜けば、それは確実に来シーズンに影響します。改めて厳しい世界だなと思います。

 そして、この間を利用して来シーズンの契約交渉も行われます。経営難が取りざたされ、また思うような成績を上げられなかったシーズンに、クラブも、選手も様々な想いを抱いているはずです。その中で考えていることを真正面からぶつけあって、対等な話し合いが行われることを望んでいます。条件面だけではなく、クラブとしての方向性、選手として何を目指し、何がしたいのか。話し合いを通して、もう一度、それぞれの責任と役割を明確にしなければいけません。

 全てが思い通りにいくわけではありません。互いに譲り合う部分も必要だと思います。けれど、「何のためにやっているのか」という部分では、お互いに妥協してほしくないと思います。自分のポリシーを貫くための我慢は必要ですが、自分のポリシーに妥協するのなら、勝負の世界で生きていくことはできません。将来の夢を語らず、現状に妥協した運営をするクラブなら先はありません。クラブも、選手も、自分たちを見つめ直す貴重な機会。有意義な契約交渉をしてほしいと思っています。

布さんの決断

紅白戦で凌ぎを削り合う布部と久藤のぶつかり合いは、公式戦以上にゾクゾクさせられたものだ

 布さん(親しみをこめて、そう呼ばせてもらいます)を初めて見たのは、1995年の国立競技場。まだ私がライターになろうなどとは全く思っていなかった頃で、日本のワーカーホリックの代表としてサラリーマンをしていた時でした。この年からヴェルディ川崎でプレーしていることは知っていましたが、スタンドから見た布さんの印象は、何やら熱そうな選手だなというものでした。この年の出場試合は確か3試合だったと思います。

 そして、布さんが福岡に来て最初に取材をしたのは私でした。確か福岡にやってきて、まだ2、3日しか経っていなかったように記憶しています。言葉を選ぶように、しかし、はっきりと自分の意思を伝えようとする姿に、誠実な選手だなという印象を強く持ったことを覚えています。その時、布さんと同世代で、将来が嘱望されていたヴェルディの選手たちが、いつの間にかサッカー界から消えてしまった中で、長い間プロとしてプレーしてきた原因を知ったように思いました。

 福岡在籍時代は本当に世話になりました。いろいろとサッカーを教えてもらったり、話しにくいことに応えてもらったり。年齢からすれば、圧倒的に私の方が年上で、それだけ人生経験を積んでいるはずなのに、サッカーだけではなく、人間として多くのことを教えてもらったように思います。人生はどれだけ長く生きたかではなく、どれだけ濃く生きたかが大事なのだと、50を過ぎて改めて教えてもらいました。

 その布さんが柏でコーチをする選択をしました。そして、彼が思い悩んだ末に、そして自分の責任として下した結論を私は全面的に支持しています。福岡に長くいてほしい人材であることに間違いありませんが、布さんに大きくなってほしいから、日本で有数な指導者になってほしいからこそ、一か所に長くとどまるのではなく、いろんなところで、いろんな経験を積むことが必要だとも思っていました。私にとっては「布さんに大きくなってもらいたい」というのが何よりも優先する望みでした。

 そしていま、布さんと食事をしながら福岡の将来を話していた時、「だったら変えましょうよ」と言われた言葉を強く思い出しています。福岡の住む自分が、福岡にあるチームを、自分の立場で応援することが当然であるように、福岡に住む自分が、福岡の抱えている悩みを解決すべく、自分の立場で行動することも、また当然なのだと。そして、福岡がどこに出ても、誰にでも誇れるチームになったとき、日本で有数の指導者になった布さんを、堂々と迎えに行きたいと思っています。柏で頑張ってください。私も福岡で頑張ります。

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