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西日本フレンドリーカップ交流会

フレンドリーカップ交流会

 西日本フレンドリーカップという大会をご存知でしょうか。大阪ダイバンズ、京都プリティウエル、ラッキーストライカーズ福岡の3チームが参加して行われている、ブラインドサッカーのリーグ戦のことです。28日、それぞれのチームの選手たちと、大会ボランティアを務める子どもたち、そしてその親御さんたちとの交流会&ブラインドサッカー体験会が福岡高等盲学校で開かれ、その様子を覗いてきました。

 ブラインドサッカーとは視覚障害者のためのサッカーのことで、フットサルとほぼ同じ広さのコートとゴールを使って行われます。いくつかの特殊ルールがありますが、基本的にはフットサルとほぼ同じルール。GKだけは視覚障害のない選手が務めます。ただし、音と気配を頼りにプレーする選手のために、鉛の鈴が入ったボールを使用する他、監督とGK、そして相手ゴール裏に立つコーラーと呼ばれる役割の人が、ボール、ゴール、そして選手の位置を大きな声で知らせます。またボールをとりに行く際は、選手は「ボイ」という大きな声を出して相手に自分の存在を知らせなければなりません。

 また、ルール上ではサイドラインは壁になっており、選手は壁を触ることで自分の位置やゴールの方向を確認することもあります。しかし、日本には壁のあるブラインドサッカー用のグランドがほとんどありません。そこで、国内の大会では、サイドラインに沿ってボランティアが整列し、「壁、壁」と叫びながら外に出るボールをグランドの中へ向かって蹴りいれることで、その代用をしています。この日集まった子どもたちは、その「壁役」を引き受けているボランティアでした。

 午前中は選手と子どもたちが一緒に遊ぶことで視覚障害とはどういうことなのかを自然に学ばせ、午後からはブラインドサッカーの実戦練習。そして締めくくりは、交流会に参加した8人の選手たちによる試合でした。その激しさは想像をはるかに超えるもの。大きな声でコーチングするのも普通のフットサルと変わりません。視覚の条件を一緒にするためのアイマスクと、危険防止のためのヘッドギアがなければ、視覚障害者がプレーしているとはすぐには信じられません。

 さて、最初のうちは、うなづいたり、動作で応えたりしていた子どもたちですが、それでは相手に意思が伝わりません。次第に自分の伝えたいことを、相手にわかる大きさとタイミングで伝えるようになりました。健常者と視覚障害者という関係だからではなく、人間として意思を通じ合うための、相手に対する思いやりや、自分をしっかりと表現することの大切さを学んだ1日だったと思います。貴重な体験になったはずです。

なお、当日の様子は、後日、オンラインマガジン2002world.comで紹介する予定です。
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これがリトバルスキー・アビスパ

暴風雨の中のインターバル走

「予定通りやりきりました」。26日の練習を終えて、村岡誠フィジカルコーチは満足そうな表情で話してくれました。「決めたことは最後までしっかりとやりたいということです」。その言葉はリトバルスキー・アビスパを象徴する一言でした。

 天気予報どおり、この日の雁の巣球技場は午後から荒れ模様。シュート練習を終え、罰則の腕立て伏せをしている最中に、空がみるみる暗くなり、大きな雨粒が落ちてきたかと思うと、雷がとどろき始めました。たまらずクラブハウスに引き上げる選手たち。20メートルは超そうかという強風と横殴りの雨、そして真っ暗な空。時計の針がまもなく16:30を指していたこともあって、当然、残りの練習は室内へ変更するものと思われました。何しろ、じっと立っていることが難しいほどの荒天だったからです。

 ところが、10分も経たないうちに監督、スタッフ、選手がピッチの上に姿を現しました。なにやら時間を計りだすスタッフ。毎日の練習の最後のメニューであるインターバル走が始まったのです。1周500メートルのフィールドを、それぞれのコンディションに合わせて15分×2回、20分×2回、25分×2回、20分×3回のグループに分かれた選手たちが当然といわんばかりに走っていきます。コーチ陣たちもピッチに広がって選手に声をかけ、リトバルスキー監督は、ペースが乱れそうになる選手に伴走しながら檄を飛ばします。

 天候は回復するどころか、ますます悪化。まるで台風のようでした。しかし、誰一人として動じることなく、黙々と走っていきます。その姿を見ていたFBSの某氏と私は、その場を離れられなくなり雨に打たれていました。彼らの姿勢が心に響いてきたからです。トップを走る15分×2回のグループは予定通りのタイムで完走。そのほかのグループも順次メニューをこなし、全ての選手がピッチを後にしたのは18:00少し前のことでした。

「こういう状態でも強い選手は突いてくるはず。だから、そこに合わせたい」とは村岡コーチ。ロッカールームから出てきた宮本亨選手は「今日やらなかったら明日走ることになるだけですから」と平然とした表情で話しました。リトバルスキー監督は、最後にランニングを終えた選手の顔を笑顔で覗き込みながら「頑張った」と声をかけていました。そして、クラブハウスを引き上げる選手たちの表情は、一様に明るく、満足感が漂っていました。

 何かが変わり始めた。そして何かが変わるはず。そう確信した1日でした。

閑話休題 「猫も飼い主に似る?」

今年で5歳

 今日はサッカーとは別のお話を。
 いつもマイペースの愛猫「テン」。我が家にやってきたのは2002年の7月のことでした。ワールドカップを終え、たまっていた原稿を整理していた私は気分転換にコンビニへ。戻ってくると、どこからともなく子猫の鳴き声が聞こえてきました。どうやら、声がするのは向かいの家の中庭から。怪しまれないように庭を覗き込むと、小さな白い猫が。私と目が合うと、満面の笑みを浮かべて(そう見えたんです・・・笑)、一目散に走ってきました。

 けれど、1メートル以上もあるブロック塀を乗り越えるのは無理。そこで、声をかけながら裏木戸まで誘導すると、喜び勇んで木戸の下の隙間から飛び出してきました。その人懐っこさは明らかに飼い猫のそれ。抱えあげると片方の手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさでした。おそらく、自分で餌を食べられるようになったところで捨てられたのでしょう。我が家にはすでに一匹猫がいましたが、迷わず家に連れて帰ることにしました。

 ところが家に帰ろうとすると、まだ泣き声が聞こえます。今度は拾った中庭の隣にある駐車場から。車の下を覗き込むと、全く同じくらいの大きさの三毛猫が一匹。目はヤニでふさがり、ブルブルと震えていて、触ろうとすると怯えて逃げようとします。でも手にとって二匹を一緒にしてやると、落ちついたように静かになりました。どうやら姉妹のようです。この日から、「テン」と「ミケ」の二匹が我が家の一員になりました。

 テンは最初からよくなついてくれました。名前を呼ぶと、まるで犬のようにどこにいても必ず全速力で走ってきます。ただし、ミケは別。見知らぬ家に連れて来られたからか、しばらくは警戒心を丸出しにして、小さな体を精一杯大きくして威嚇してきたものです。しかし、いまはすっかり甘えん坊。部屋に誰もいなくなると、ニャア、ニャアとないて人を呼びます。特にミケのお気に入りは我が妻。というか、私には愛想のひとつも見せません。「こんな暖かい部屋にいられるのは誰のおかげだ?」と問いかけるのですが、聞こえない振りをするだけです(笑)。

 そんな二匹も今年で5歳。ミケは拾ってきた当時の面影そのままですが、テンは見る見る大きくなって5キロを越す巨漢に。同じものを食べさせているのに何故だろうと観察していると、テンは食べるとき意外はほとんど動きません。「食べてるばかりで動かないと太るぞ」と言うと、いつもは擦り寄ってくるくせに、そのときばかりはテンも聞こえない振り(笑)。そして「飼い主に似たのよ」と家族の声がしてきます。いや、いくらなんでもそこまでは・・・。テン、お互いに動くことから始めよう!

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