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熊本の天皇杯で
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天皇杯準決勝は熊本のKK WINGへ。天皇杯独特のまったりとした雰囲気の中で(汗)、FC東京vs.広島の試合を取材してきました。Jリーグ開幕以降、その価値が低下してたといわれている天皇杯ですが、この独特な雰囲気はJリーグ開幕以前からのもの。大会そのものが、各クラブのホームタウンと切り離されて運営されるため、スタンドにはチームを鼓舞するサポーターよりも、中立な立場でサッカーを楽しむ地元ファンの方が多いからかも知れません。
そして、各会場がある地区のサッカーファンにとっては貴重な観戦の時間でもあります。Jリーグが日本のスポーツ界に浸透していること、その数が31クラブになったこと(来シーズンからは33)で、日本中にサッカーが溢れているという錯覚に陥りがちですが、実際にJクラブがあるのは47都道府県中、22都道府県にしか過ぎません。JFL、各地域リーグ、各県リーグなども活性化されてきましたが、普段は、高いレベルのサッカーに直接触れることができないサッカーファンは多いのです。
来シーズンからロアッソ熊本のJリーグ入りが決まっている熊本県も、今年まではそのひとつでした。毎年行われる天皇杯の試合には、いつも大勢の観客が訪れ、この大会を心待ちにしている様子が手に取るように伝わってくる土地です。今年も会場前に入場ゲートには長蛇の列ができ、スタジアムの周りにある運動場や多目的広場では、子どもたちを対象にしたサッカー教室も行われていました。スタジアムに足を運んだのは5148人。長居、仙台、埼玉と比較すれば少ない数字ですが、それぞれの土地のサッカー成熟度を考慮すれば、決して少ない人数ではなかったと思います。
そんな中で行われた試合は、本音を言えば少しばかり物足りなさの残る試合でした。バランスの悪いFC東京の中盤を上手く使ってカウンター気味の攻撃から2点のリードを奪った広島でしたが、後半は全員が下がってなりふり構わず前へ蹴り返すだけのサッカー。FC東京はゴールへの意識こそ強かったものの、チームとしてやろうとしていることが感じられず、ただ、それぞれがバラバラにプレーしている感じでした。
広島がJ2に降格したことで自信をなくしていることや、監督交代、選手の契約・移籍問題などでリーグ終盤からFC東京にまとまりが欠けていたのは理解できなくもないですが、もう少し何とかならないのかというのが率直な感想です。見る側にすれば、年に1、2回しかない生観戦の機会。大会の運営方法の見直しが必要になってきていることは明らかですが、その前に、チームとして、プロ選手としてやるべきことがあるように感じました。
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日本最大・最古の大会「天皇杯」
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Jリーグの優勝争いと残留をかけての戦い。J1-J2入れ替え戦。そしてFIFA Club World Cup Japan 2007。12月はサッカーファンにとって見逃せない試合が続いています。そんな中で天皇杯も静かに、しかし確実に佳境を迎えています(汗)。Jリーグ開幕以降、その権威の低下が言われ続ける大会ですが、日本最大・最古の大会は、あらゆるカテゴリーのチームが参加して日本一のチームを決める大会。日本のビッグタイトルであることに変わりはありません。
天皇杯が始まったのは1921年。それがある勘違いから始まったことは有名な話です。 日本で初めてサッカーの公式国際大会が行われたのは1917年、芝浦埋立地で行われた第3回極東選手権競技大会のことでした。当時は全国を統一するサッカー協会は存在していませんでしたが、この大会が契機になって、翌年以降、新聞社や大学が中心になって大阪、名古屋、東京でサッカーの大会が行われました。これがそもそものきっかけになって、日本サッカー界は大きく動き始めることになるのです。
この大会の模様を見た外国通信社が、何を勘違いしたのか「日本にも国内サッカーを統括する団体ができその全日本選手権大会の地方予選が3か所で同時に開催された」と打電。それがロンドンに伝わり、突如、何の前触れもなく、F.A.(イングランド・フットボール協会)から純銀製のカップが日本に送られてきたのです。全国大会優勝チームに渡してほしいとの旨を記した書簡も併せて届いたそうです。時は1919年3月。そのことを報じた3月14日の東京朝日新聞の記事を見たサッカー関係者は大いに驚きました。サッカー協会そのものがなかったのですから、それも当然のことだったでしょう。
しかし、こうなったら前へ向けて進むしかありません。関係者は奔走して1921年9月10日に大日本蹴球協会を設立。そして第1回全日本選手権が開催されることになったのです。天皇杯という名前で呼ばれるようになったのは第31回大会から。もともと天皇杯は、戦後最初の御前試合となった東西対抗ののち、その覇者に授与するために宮内庁から下賜されたものでしたが、それが全日本選手権の優勝チームに授与されるようになったからです。ちなみに、この天皇杯は、戦後、各種競技に下賜された天皇杯の中で最初のものでした。
以後、様々な改革を重ねながら拡大。現在では第2種以上に登録された全チームに出場資格が与えられた完全オープン大会となり、地方予選から数えると、毎年約6000ものチームが元旦の国立、そして栄えあるチャンピオンの座を目指して戦います。そして22日、23日は準々決勝。トーナメントも大詰めに近づきつつあります。私がお勧めのカードは鹿島vs.Honda FCの一戦。Hondaは東京V、柏、名古屋と3戦連続でJリーグを破ったアマチュアの雄。とても清々しいチームですが、Jリーグチャンピオン相手にどこまでやれるかが注目です。
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天皇杯3回戦に思うこと
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7日からの3連休はサッカー三昧の日々でした。8日は、天皇杯3回戦・サガン鳥栖vs.立命館大学を取材するために佐賀県総合運動場陸上競技場へ。佐賀駅からタクシーに乗り込み行き先を告げると「何かあるんですか?」と運転手さん。既に駐車場は満杯とのこと。ビックリしていると、実は別のイベントが同一会場で行われていたためでした(汗)。競技場に足を運んだのは1679人。それでも、みんなサッカーを存分に楽しんでいました。
試合は激しい点の取り合いとなりましたが鳥栖が4−3で勝利。4回戦へと駒を進めました。失うものがない立場と、リーグ戦の合間に挑戦を受けて立たなければならない立場。プロチームにとっての天皇杯初戦は非常に難しいものです。そういう意味では苦戦も想定の範囲内。最終的にFK2発を直接決めて決着を付けたところに、プロとアマの差を感じた試合でもありました。もちろん、素晴らしいサッカーを展開した立命館大の健闘も見事でした。
ところで、他会場では、横浜FC、東京V、水戸、神戸のJ2勢4チームが姿を消すことになりました。プロのくせに・・・。そんな声も聞こえてきそうですが、そうも言えない部分もあります。すべての試合に全力を尽くすのはプロチームとしての責務ですが、昇格争いの真っ只中にいるチームにとっては、すべての力を昇格争いに結集したいのも当然。現実的なことを言えば、リーグ戦にプライオリティを置くのは責められないと思います。
福岡も昨年は、横浜FC、神戸と同じようなシチュエーションにありましたが、その当事者として試合を取材していた私自身も、心の中に「敗戦も止む無し」の気持ちがあったことは確かです。甲府のように両方とも堂々とした戦いを見せたチームもありましたが、奇麗事では済まされないほど、J1とJ2の間には大きな差があります。メンバーを落としたり、それほど高いモチベーションを持てないのも仕方のないことのように思います。
私は基本的には「天皇杯は難しい」と公言するクラブや選手がいることに非常に違和感を持っています。けれども、彼らがそう言わざるを得ない大会システムになっていることもまた事実。どのチームも全力で試合に臨めるように、敗戦を大会方式のせいにするような発言をなくすためにも、大会スケジュールの見直しが必要かもしれません。でも、元旦の国立競技場で行われる決勝戦だけは動かして欲しくないと思う自分がいます。毎年、あそこで新年を迎えてきた者にとっては、本当に特別な場所、そして特別な空間なんです。
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