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天皇杯の季節がやってきた



 今年も天皇杯の季節がやってきました。台風12号影響を受け順延された会場もありましたが、9月3、4日に1回戦がスタート。参加88チームが、2012年1月1日の国立の舞台を目指して戦います。福岡では3日、レベルファイブスタジアムで福岡大学(福岡県代表)とHOYO AC ELAN大分が対戦(大分県代表)。2-0で勝利した福岡大学が2回戦に駒を進めることになりました。福岡大学の2回戦の相手はJ1の大宮アルディージャ。乾真寛監督は「J1相手に引いて守るのではなく、前向きにチャレンジし、がっぷり四つで戦いたい」と抱負を話しました。

 さて、「日本最大・最古の大会」と呼ばれる天皇杯が始まったのは1921年のこと。そのきっかけはTHE F.A.(イングランドサッカー協会)から寄贈された銀杯でした。
 時は1919年3月12日、東京朝日新聞紙上に突如として、イングランド・フットボール協会(FA)が、「日本の蹴球協会設立を祝して銀杯を寄贈するので、全日本選手権大会優勝チームに授与して欲しい」という書簡とともに、純銀製の立派なカップを寄贈してきたという記事が掲載されました。

 しかし、当時の日本にはサッカーを統括する組織はなく、当然のように全日本選手権は存在していませんでした。今となっては事情は定かではありませんが、当時は日本のサッカー熱が全国へ広がりつつある時期で、各地区で小規模の大会が行われていたことや、1918年には現在の高校選手権の前身である全日本フートボール大会が開催されていたことなどから、既に日本にサッカー協会があり、全日本選手権が存在していると勘違いしたのかも知れません。

 いずれにせよ、当時の日本にとっては寝耳に水。しかし、だからと言って放っておくわけにはいきません。この事件をきっかけにして1921年9月10日に大日本蹴球協会が設立され、その2ヶ月後に第1回全日本選手権(ア式蹴球全国優勝競技会)が開催されることになります。参加チームは東京蹴球団、名古屋蹴球団、御影師範、山口高校(最終的に旅費が都合できずに棄権)の4チーム。大会は日比谷公園グラウンド11月26日、27日の2日間で行われ、東京蹴球団が初代の日本一の座に輝きました。

 天皇杯という名称で呼ばれるようになったのは、第31回大会(1951年)から。それまで東西対抗の勝者に与えられていた天皇杯が全日本選手権のチャンピオンチームに贈られることになったからでした。そして、第48回大会(1967年度)から、決勝戦が「元旦の国立」で行われるようになりました。さらに第76回大会(1996年度)に完全オープン化を実施。現在では、予選を含めると5000を超えるチームが天皇杯を目指して戦っています。歴史を重ねた大会は今年で91回目。果たして、どのチームが日本一の座に輝くのか。サッカーファンには見逃せない戦いが続きます。

参考記事
http://www.2002world.com/history/japan/jh_010.html
http://www.2002world.com/history/japan/jh_011.html
http://www.2002world.com/history/japan/jh_012.html
http://www.2002world.com/history/japan/jh_013.html
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気持ちと気持ちのぶつかり合い

081117_開場を待つサポーターの長い列

 2日続けての天皇杯取材は、2日続けての延長戦。しかし、万博記念競技場での試合は非常に面白いものになりました、要因のひとつは甲府の頑張り。そして、もうひとつがG大阪のアジアチャンピオンの意地。好ゲームとは、どちらか片方だけが頑張っても成立しないもの。そして、ただ頑張るだけでも一味足りない試合になります。互いが現時点の力のべ手を出しつくし、そして、勝利だけを求めて戦うからこそ生まれる好ゲーム。今日の試合は、そんな試合でした。

 もちろん、厳しい日程のACLを制し、国内の激しいリーグ戦も平行して戦い、さらには代表選手を送り出しているG大阪のメンバーはベストとは言えません。しかし、その影響について記者から質問された西野朗監督は、「それは監督の僕が口にすることではない。それに選手だって、誰一人として、それをエクスキューズにはしないはず。いま、この試合に出ているチームがガンバ。いろんなハンデキャップを背負って戦っていかなければならないのがガンバだし、強豪チーム」とサラリと言ってのけました。

 そして甲府の安間貴義監督は、J1の強豪にチャレンジするのではなく、G大阪に勝ちに行きました。「引いてブロックを作って守ると、上手く守っているようでガンバの思い通りにやられる。0-1、0-2の試合はできるかも知れないが結局勝てる可能性はない。それならば、前からのプレスに加えて、前から行かずにバイタルを消して、SBの上がりはマラニョンと大西に、ぼかした形で守らせた」。G大阪に押し込まれても決定的なチャンスを与えたのは数えるほど。逆にカウンターからあわやというシーンも作り出します。

 試合のファーストプレーで得たFKをきっかけに先制点を奪い取った甲府は、その後は狙い通りの守備でG大阪の攻撃を封じ、G大阪は1点のビハインドにも慌てることなく、しっかりとビルドアップしながら、楔のボールを何度も何度も打ち込んで、冷静に甲府の守備に穴を空けに行きました。最後は勝負強さという点で勝ったG大阪が、延長前半で奪った勝ち越しゴールで甲府をねじ伏せましたが、甲府も、最後まで何かがあるぞと思わせるプレーを展開していました。

 そして、もうひとつ印象深かったのが、西野監督も、選手も、そして在阪のメディアも、全員が天皇杯を来年のACLへの出場権を獲得する非常に重要な試合と位置づけていることでした。様々な事情から、Jクラブにとって、天皇杯は戦うのが難しいと言われており、それはG大阪とて同じことです。しかし、それはそれとして、ピッチの上で戦うからには、世界の大会へ出場すること、そして、その舞台で頂点に登りつめることを目標にして、G大阪は日々の戦いに挑んでいます。その姿勢に、G大阪の強さの要因を垣間見たように感じました。

横浜FM、浦和を破って準々決勝へ

081116_県立丸亀競技場

 香川には讃岐うどんを食べに行ったわけではないので、天皇杯の話を。県立丸亀競技場に行くのは初めて。毎年、天皇杯の上のラウンドが開催されているので、さぞかしすばらしいスタジアムだろうと思いながら、いく機会を見つけられずにいたのですが、来てみて良かったというのが第一印象。素晴らしいスタジアムです。トラック付きですが、J1、J2を含めて、現在Jリーグで使用しているスタジアムと比べても、上位に入るスタジアムだと思います。天皇杯を開催するのもうなづけます。

 さて、丸亀でのカードは天皇杯5回戦・浦和レッズvs.横浜F・マリノス。浦和、横浜FMともに、遠路はるばるやってきたサポーターがゴール裏を埋め尽くし、有料入場者数は10,303人。天皇杯はJリーグ所属チームにとってはモチベーションの難しい大会と言われていますが、両チームのサポーターが、通常のリーグ戦と変わらぬ雰囲気を作り出してくれていました。奇麗事を主張する気は全くありませんが、いろいろな条件が重なったとしても、ようは意識の問題だなと改めて感じさせられました。

 結局試合はPK戦の末、横浜FMが準々決勝進出を決めたわけですが、ポイントは前半の出来にあったように思います。代表選手と出場停止の選手を抱える浦和は、半数近くの選手が入れ替わっていましたが、「影響はもちろんある。でもそれは最初から分かっていたこと。それに前半の内容は、その問題とは関係ない理由によるもの」とエンゲルス監督が話したように、浦和はぬるすぎました。前半の終盤からリズムを取り戻して同点には追いつきましたが、そのためにパワーを使いきってしまったように思います。

 一方、横浜FMはチームが改善されてきているのが実感できる戦い方でした。ボールをビルドアップして、右の田中隼磨、左の小宮山尊信のサイドアタックからゴールを狙うのが基本スタイル。押し込まれた後半はともかく、その形から何度も浦和を押し込みました。そして、狩野健太。この日はトップ下の位置でゲームを作りましたが、こぼれ球をゴールネットに突き刺した先制ゴールはポジショニングがすべて。ゴール前に2人が飛び込んだのを見て、すかさずゴール前に詰めたところで勝負ありでした。

 そして横浜FMの選手たちが口にしたのは自分たちのサッカーを貫くことと、頂点の座に立つことでした。「やることは変わらない。自分たちがやれることをすべて出すことだけ。今は自信のようなものがある。それが結果につながればいい」(狩野)。「まだ頂点に立ったわけじゃない。目標は優勝すること。一歩、一歩勝っていくだけ。そして頂点に登りつめたい」(田中隼磨)。不振にあえいでいた横浜FMは上昇の手がかりをつかんだようです。

 ところで、万博ではいま、G大阪サポーターが応援を始めました。難しさという点で言えば、浦和どころではない状況にあるG大阪ですが、甲府相手にどんなサッカーを見せてくれるか楽しみです。

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